あの時は普通じゃなかった、話
中学生、高校生の頃、一度も話したことのない女の子の連絡先を聞いたり、ひどいと告白なんてこともしていた。
連絡先に関して言えば、数少ない”話せる女子”から間接的に教えてもらおうとしていたからたちが悪い。
あの頃は本当にどうかしていたと思うが、あれから数年が経ち、つい最近腹に落ちた。
きっかけはYouTubeで岡田斗司夫の切り抜き動画を見ていた時のこと。
「躁状態の時には大胆な行動に出やすいから、思わぬケガ・やけどをする」といったことを言っていた。
たしかに、今思えばなんであんなことをしたんだろうと大人になってから、結婚してからも思っていたが、躁状態だったんだと思えば腹に落ちる。
中学から別学区となった、小学生当時両想いだった女の子にメールで告白してみたり、
同じ塾に通う女の子にメールで告白してみたり、高校一年の時初めてできた彼女に1か月半で振られたり、そのあとヤケになって、いろんな女の子の連絡先を聞いては告白したりと、めちゃくちゃやっていた。
新卒社会人の時にはうつ状態になってどん底にいた経験もあるわけで、
高校生時代には逆の躁状態だったと考えると、”波”という意味で筋が通る。
今も決してフラットかというとそうではないが、
「時が解決する」、「のど元過ぎれば熱さを忘れる」といったことを頭の片隅に置いて、何事も頑張りすぎない、でも少し頑張る、、といったスタンスでやっている。
以上、
今日はこんなところで。
普通に結婚して、普通に子どもを授かって
前回更新から1年以上たっていた。
その間に、妻が第二子を妊娠。めでたい。
26歳で結婚して、28歳で子どもを授かって、そこそこ好立地のマンションを買って、
年収も700万ちょっと。世間一般からすれば十分すぎるかなと思っている。
傍から見れば順風満帆なのだけど、
馴れ初めは某マッチングアプリである。
当時はあまりメジャーではなかったので、親への説明も難しかったが、
今となってみれば誰も気にしていない。
出来婚も同じようなもので、はじめは親も面食らってしまうのかもしれないが、
孫の顔を見ればコロっといってしまうのではないかと思う。
「時間が解決する」とは良くいったもので、
仕事の悩みや家庭の悩みも、たいていは時間が解決してくれる。
若いころはそのことが分かっていなくて、自分自身何度か遁走したり、
仕事をバックレたりしたものだった。
普通に結婚して、普通に子どもを授かっているように見えても、
結婚までのハードルは高かったし、子どもを授かるまでは薄給の会社にいて、
産まれたことをきっかけに転職したりと、いろいろと大変なことはあった。
言いたいことは、隣の芝生は青く見えるもの。
以上。
今日はここまで。
普通に大学進学した話
もう12年も前の話。
高校を卒業して、普通に大学進学した。
そこそこの有名大学だと思うが、キャンパスはなかなかに田舎だった。
大学というのは鉄道会社と切っても切れない関係のようで、
私が通っていたキャンパスも、大学誘致の機運が高まった某駅を抱える某私鉄が所有していた広大な土地を使って、大学誘致を成功させたとかしてないとか。そんな話を聞いたことがある。
という余談はさておき、高校3年の春、12年近く続けていた部活をきっぱり辞めて受験勉強をスタートさせ、現役合格をした。
3兄姉弟の末っ子だった自分。
付属校から内部進学の兄、指定校推薦で安直に短大へ進んだ姉、からの私の初一般受験。参考データ皆無だったので、とりあえず予備校へ。当時は出始めだったサテライト予備校に通った。
これが非常にマッチして、メキメキ成績が伸びた。
受験勉強当時は54くらいの偏差値だったが、結局63くらいの偏差値の大学へ合格した。
上には上がいるが、他人とは比べる必要はなく、過去の自分からしたら素晴らしい結果だったと思う。
大学では4年間怠惰に過ごし、なんとか単位も取り終えて、留年することなく卒業できた。
そして社会人になり、親になってようやく気付いた。
【普通に大学に通わせてもらって、奨学金もなく学費を親に全額に出してもらった】ということを。そしてそれが普通でないと。
恐るべし父。専業主婦である母。
自分が親になって、時が経てば経つほど感じる。
お金は大事である。
社会人になってからも奨学金の返済に苦しみ、
それが結婚への障害になっている人さえいると聞く。
【借金のない人】と聞くと、サラ金に借りてなきゃいいくらいに思っていたが、
ヘタをすれば奨学金債務者だって対象にする人はいるかもしれない。
そう考えると、本当に恵まれた家庭環境だったのかもしれない。
親との関係は決して良くはなかったと思っているが。
結婚して、相手の家庭環境を知ると思い知る自分の生家の恵まれていた環境。
子どものやりたいこと、やりたい道を進ませるための親の努力を、今度は自分がしていかなければいけない。
そう思った話。
今日はここまで。
”普通”に就職できた、と思っていた話
今から10年くらい前の話になる。
大学4年の春、世間では名の知れた大手民間企業の総合職に内定をもらった。
元々はグランドスタッフ(空港職員)を夢見ていたが、カウンター業務の激務さや、そもそも派遣社員でまかなっていることが多いというリアルな現実を知り、結局父親と同じ某インフラ業界で就活をし、父親の同業他社に就職することとなった。
就職して1年目、初めての繁忙期で飛んだ。
逃走(遁走)して無断欠勤をしたのである。
いま思えば、自分の業務知識では処理しきれない量と、職場の人間関係が上手くいかなかったことなど、様々な要因が重なり合った結果だったとは思う。
ある日、職場最寄りのバス停で降りたが職場に足が向かず、そのままあてもなく歩いて駅まで向かい、電車に乗ってあてもなく遠くへ行った。
その時の心理状態は「とにかく物理的に遠くへ逃げたい」だったと思う。
休日でも会社携帯は手放せず、自分が担当の案件でクレームがあれば対応を迫られた。客の前で土下座をしたこともある。弁償しろと言われ自腹を切ったこともある。
ある日糸が切れたように無気力になり、全てを投げ出したくなった。そして本当に全てを投げ出した。
一週間ほど無断欠勤し、当時住んでいた実家にも帰らなかった。神奈川からはるばる名古屋まで行って、漫画喫茶やホテルを転々としていた。
返ってきた後は管理部門に呼び出され、反省文程度で済んだが、その1年後に窓際部署に左遷された。
それでも親戚からは「〇〇に就職できてすごい!」と言われるが、窓際部署で残業もないので、手取りは15~6万くらいだった。
そんなこんなで5年目になったとき、同業他社の父親から「お前のところの〇〇支店長とゴルフ一緒にまわったぞ」と言われた。
業界内でそういう繋がりもあるんだなと思っていたが、続けて父が「お前もそろそろ海外転勤とかしたいだろ、支店長に言っておいたぞ。メキシコあたりを薦めといた」と言う。
そして後日、本当にそれらしい異動の話を支店長から聞かされる。
つまり、同業他社でありながら、父親が息子の人事権の一端を握っていたのである。
それを実感したとき、何とも言えぬ気持ち悪さと、そもそも自分はコネ入社だったのではという気持ちがよぎった。
自分で普通に就活をして、普通に勝ち取ったと思っていた内定が、そうではなかったかもしれないという不安が、自分の中によぎった。
それを機に、一気に転職への想いが加速していく。
今日はここまで。
自分が思っている以上に、自分が普通だったと気付いた話
初めて記事を書く。
正確には一度書いたが削除していた。
自分が住む町の魅力を発信するブログを書く!と思い立ったが、
導入の記事をひとつ書いて、気付いたら1年近く放置していた。
タイトルにあるように、自分はかなり普通な人だと最近思うようになった。
コロナ禍で世の中下向きな中、正直に言えばそれほどダメージを受けていない。
しいて言うならば、残業時間が減ったのでその分の収入減がある程度である。
24歳の時に出会った現妻と2年間の交際を経て26歳の時に結婚し、28歳で子どもを授かる、現在31歳となる筆者。
とあるニュース番組で取り上げられた【一般的な普通の男】という条件には
全て該当している。
それでも自己肯定感は低いし、仕事の悩みからくるストレスで適応障害になったりもした。もちろんそうしたパーソナルな部分は他人からは見えないし、見せるつもりもないので、けっして世間が思っているほど順風満帆ではない。
普通とは何なのか、いつも考えているけども、そうしたことを考えないで、
言葉を選ばずに言えば、もっと頭悪く過ごしていればどれだけ幸せだろうとさえ思う。
就職・結婚・出産・持ち家購入・転職、、、いろいろ経て今がある。
誰かに刺さればいいけども、別に刺さらなくてもいい。
普通に更新していけたらと思う。
今日はここまで。